「R」
リマインダーが1時間後の予定をロック画面に表示する。「3人」というなんとも曖昧な件名は、ぼくが59分後に迫った集合を「再会」と呼ぶのを恥ずかしがったことを表している。「再会」と言うほどドラマチックな別れをした訳ではないし、「同窓会」と呼んでしまうと、それはそれでよそよそしい感じがする。
ぼくらはたまたま同じ年に生まれ、たまたま同じ街の、同じ学区に住んでいた3人で、ある日幼いぼくたちは、家から一番近くの公園で、これまた偶然に、ばったりと、出会ったのだった。
「一緒に遊ぼう」と最初に声をかけてくれたのはGとB、どっちだったろう。少年少女の無邪気さというか大胆さに今となっては驚かされるが、ぼくらは出会ったその日のうちに、いつの間にか3人一緒になって遊んでいた。
あの頃、ぼくらは本当に毎日のように顔を合わせていた。登下校も一緒にしていたし、放課後もそのまま校庭で、出会ったあの公園で、誰かの家で、時間が許してくれる限り遊んでいた。
そんなこれ以上ないくらい仲が良いと思っていたぼくたちも、よくある話だが、ごく些細なきっかけでいつの間にか遊ばなくなってしまう。今思えば、なんて可愛らしい恋愛沙汰だったのだろう。ぼくらはそのまま元のような関係に戻ることはなかったけれど、2人はぼくの少年時代を語るうえで欠かすことができない友達だ。そんなぼくらが久々に会うことを、ぴったり言い表すちょうどいい言葉はなかったものか。
「3人」の文字が画面に表示された時、ぼくは発色の良い色とりどりの傘が行き交う雨のスクランブル交差点を渡っていた。その日は休日で、スケジュールアプリのタイムラインには夕方にあたる時刻に「3人」のラベルがポツンとあるだけ。なんて気楽な1日なのだろう。画面左に見切れた前日のタイムラインには、細長く刻まれたラベルたちが過ぎ去った過去を表す彩度を落とした色で、ズラリと並んでいる。
昨日は、忙しい1日だった。校正紙に出力された色が、液晶で見ていた時の印象と違うと、先方のお偉方が校了直前で待ったをかけて、ぼくは微調整したポスターを持って、取引先と会社の間を何往復もすることになった。思い描いた色と違うと責められることは珍しいことじゃない。新人の頃は、「自分だってこんな未来を思い描いていた訳じゃない」と心の中で言い返したりもしていたけど、最近は脊髄反射ですぐ対応に走り出せるくらいには仕事に慣れた。
駅付近まで戻ってきて、ようやく空きのあるコインロッカーを見つける。ヒトやモノで溢れかえった大都会では、空いたスペースを探し出すほうが難しい。ぼくはそこに、今日家を出る時に着ていた、くたびれた衣服の入った紙袋を押し込む。今身に纏っているのは、昼過ぎからメンズファッション店をいくつか回って新調したもので、集合場所にはこれをさも着慣れている風で現れるつもりでいる。プライベート用の服を買うのも久々だった。珍しく格好つけようという気になっているのは、やはりこれから会う、Gのことを意識しているからだろうか。
待ち合わせまで中途半端な時間を持て余したぼくは、時間をつぶすため生活雑貨店の入ったビルに足を向ける。
手に握る画面の中では履歴を辿って、Gが実名で登録しているSNSのプロフィールページを訪れていた。そこでぼくらは友達ではないから、見ることができる写真はアイコンに使われている一枚だけだ。でも長いまつ毛を伏せがちにして笑うその一枚だけでGが綺麗になったと判断するには充分で、その写真を見るたび、ぼくの胸はどうしても少し高鳴ってしまうのだった。
雑貨店に向かう途中、Bから電話があった。送った集合場所に誤りがあったから、これから送り直す場所に来るようにと、まくし立てるようにして伝えられる。昔から遊ぶ場所や遊びのルールを考えるのは大体Bで、今日の会の幹事も彼が務めている。何オクターブかぐんと低くなったBの声と、十数年ぶりの会話が成立していること自体に不思議な感覚を覚えながら、了解の旨を伝える。
雑貨店に着く頃には、朝から降り続いた雨はやんでいた。人々の頭上に開いていた傘は身を細く絞られ、店内では半透明のビニール袋に包まれている。
売場に並ぶ少し高級な文具を眺めながら、ぼくはそこにはない、異国に咲く赤い花が表紙をでかでかと彩る「じゆうちょう」のことを思い出していた。罫線も升目もない真っ白な「じゆうちょう」に、かつてぼくが描いていた漫画。鉛筆と定規だけを使って、遠近法もろくに用いず、ぼくなりのユーモアをここぞとばかりに詰め込んだ一冊を、GとBに手渡した瞬間の緊張はいまだに忘れない。しばらく真剣に読んでいた二人が笑ってくれた瞬間心底ホッとしたし、身が震えるほど嬉しかったものだ。
2人と疎遠になってからも、ぼくはあの震えるような歓びを追い求めて描くことを続けたけど、2年前ついに観念して筆を折った。ぼくの作品の読者は、もう増えることはない。思えばこれから会うGとBは、ぼくの古い友達でもあり、ぼくに夢を見させた最初の読者だ。
雑貨店を出る時、傘を持つのと逆の手には、買ったばかりのペンとノートが入った袋がぶら下がっていた。ふと思い立って、いたずら書き程度にあの頃描いていたキャラクターをいくつか描いて見せてみようと思ったのだ。きっと、2人は笑ってくれるだろう。緊張と期待の入り混じった、少年の日に抱いた気持ちが蘇ってくる。
新しい待ち合わせ場所を目指して歩き出した頃には、雨上がりの街に夕日が差し込み始めていた。ひらけた大通りに出た時、ぼくは夕陽を正面からまともにくらって、眩しくて目を細める。じんわりとしたあたたかさを体の前方に感じる。光に目が慣れると、ほのかな橙色で彩色された街並みが目の前に現れ、ビルに切り取られて四角い形をした奥の空に、弧状の虹が見えた。
3人でも、一緒に虹を見たことがあった。急に雨に降られた日、遊具の下で肩を寄せ合って雨宿りをしたあと外に出ると、遠くの方に何にも遮られることなく、巨大な2本の足を悠然と地に下ろす、虹のすべてが見えたのだ。たしかその時、虹が七色に見える原理をBが教えてくれたのをおぼろげに覚えている。
光の分散によって表される、鮮やかなグラデーション。それをインクで表現するのは難しかろうなんて、少し仕事のことを考えかけたのち、これはぼくらの再会を祝福するものだと、気分を高揚させる方に捉え直して、角を曲がり路地に入った。
「G」
わたしのいる場所がマップの上で点滅している。送られてきた待ち合わせ場所をコピペして行き方を調べる。1回乗り換えで、着くまでの所要時間は60分。意外と遠くない?
最寄り駅に着いた私は、自販機で最近気に入っているミルクティーを買って、1分後に発車する電車に乗り込む。点滅している点が、マップの上をぐんぐん進み始める。
家広くなったけどさいきん東京が遠くてしんどみ。
♡0
最近遠くなったのはわたしだけか。まぁ共感されなくたって別にいい。今は3周まわって言いたいこと言っちゃえテンションなのだ。公団や野球のグラウンドが遠ざかっていき、大きな川と高速道路。やがて私を乗せた電車は地下に入り、液晶が落ちたみたいに、窓の外が一瞬で黒に切り替わった。
RとBとのトークルームを開く。人差し指の爪を当てながらスクロールしてトークの最初まで遡る。
久しぶり!Bです!
機種変したら2人出てきた!
覚えてる笑?
え!Bだ!
久しぶりー!
すごく懐かしいトーク始まってて
びっくりしてる…!
おー忘れられてなくてよかった笑!
もしかしてみんな今東京?
久しぶりに会わない笑???
突然笑
15年ぶりの邂逅…!
言い方笑
会いたい!
こうして見返すと緑色の吹き出しよ、きみ一人だけ短いな?思わぬ連絡にテンション上がって、即レスしたらこうなっちゃった。わたしって手紙もメールも、文字で伝えるのむかしから苦手だ。最後の「会いたい!」というのは素直な気持ちだから、そのあたりはちゃんと伝わっていてほしい。
ようやく東京駅まで来て乗り換える。トイレの鏡に写る自分を顔だけ隠して撮った。ワンピースやスカートもそこそこ持っているけど、今日はパンツスタイル。2人と遊ぶ時は、ズボンと決まってるんだ。今日は木登りをしたり、アスレチックで遊ぶ訳はないけどさ。
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言葉は添えずに、先ほどの写真をストーリーにあげる。お決まりのメンバーがすぐに見つけて絵文字のリアクションを返してくれる。よしよし、今日もタイムラインに異状ナシ。
そういえば今日は15年ぶり?にちっちゃい頃一緒に遊んでた男の子2人と会うという激エモイベントある。
♡2
Bから着信。ちょっとびっくりして、電車の中だしキャンセルして、Bとの個別トークを開く。
(不在着信)
ごめん今電車—!
おけ!
[位置情報]
送った場所間違ってた!ごめん!
なんか移転前の場所だったぽい笑。
近くだけど集合こっちで!!
わかったー
着くのぴったりくらいになる!
素早く返事を返してトーク一覧に戻ると、別の個別トークに未読通知がついていることに気付く。
今日の同窓会って男2人となんだ!
そうだよ
絶対好かれたでしょ笑
ないない笑
ただの友達だよ
ただの友達。本当にそうだ。全然タイプの違う3人だったけど、それぞれ好きな遊びをかわりばんこにやったりして、けっこう楽しかった記憶がある。盛り上がってしまって切り上げ時を見失い、日が暮れてから帰って、親に怒られた覚えもあるくらいだから、その頃は本当に仲が良かったんだろう。同じマンションに住んでいて、一緒の学校に行って、帰り道が同じってだけで、そんなに深い仲になれるなんて、なんだかピュアだな。そんなことをつぶやこうとしたけど、うまく言えなそうだからやめておいた。
思えばあの頃は、わたしのこれまでの人生で一番、混じりっけのない友情を感じられていた時期だった気がする。別にわたしたちは、喧嘩別れしたわけじゃない。もっと自分と似てる友達との付き合いが忙しくなっただけだ。Rが好きな本や漫画の話にわたしたちはついていけなかったし、Bはバスケのクラブチームの練習日が増えていって、わたしはわたしで女友達とシールを交換したり手帳をデコレーションしたりするのも楽しくなった。
好きなこともやってることもバラバラな、ただの友達。今日もあの頃みたいに、純粋に楽しめたらいいな。
え、東京雨ふってた?
傘もってなかったけどセーフ!
♡1
窓に雨粒がついてるのを見つけて焦ったけど、降り立ったホームから街を見下ろすともうみんな傘をさしてない。よかった。自分で言うのもなんだけど、わたしはこういう時割と外さない。負けたくない時のじゃんけんとか、勝てる方だと思ってる。だから、この前決めたことだって、きっと間違ってない。新しい位置情報をコピペして、どの出口から出るのが近いか調べて顔を上げた時、それを見つけて思わずカメラを向ける。
虹!!!!!
めちゃキレイ!!!
心洗われた泣!!!
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♡8
気持ちが上向いた勢いで、二桁の数字の通知バッジがついたアイコンを、今日はじめてタップする。
【ご報告】
私事ではありますが、この度私は、
—さらに表示—
♡267
なにげないつぶやきと違って、実名での改まったご報告にはみんなたくさんのハートをくれる。よく見ればBもいいねをくれていた。わたしは送られてきていた「おめでとう」に「ありがとう」を返していく。
その投稿を境に、周りが自分を見る目が変わったというか、自分でもわたしが何か別のものに変わっていくような不安を正直感じていて、「ありがとう」で返すのが合っているかはわからない。でも祝ってくれるのは嬉しいから、やっぱり「ありがとう」でいいのだろうか。改めて、言葉で何かを伝えるのってむずかしい。
改札を出る前、さっきのトークに吹き出しを重ねる。
今日帰る?
帰るよー
また連絡する
ほいよ!
楽しんで
あの2人は、このあと会ったらわたしのことをなんて呼ぶんだろう。変わらず昔みたいに呼んでくれたら嬉しいな。ちかごろは将来のことばかり考えていたし、今日くらいは無邪気だった頃の思い出に浸りたい。
歩き出しながら、自分と一緒に写した虹の写真を3人のトークに送る。
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「B」
昔の友達と十数年ぶりに会う1時間前、俺はすでに待ち合わせ場所の近くの、カフェのテラス席にいた。ワイヤレスイヤフォンで通話している相手は、ここ2年ほど親しく付き合っている友人で、用件はいつもと変わらない飲みの誘いだった。
「今日?今日はダメだ。俺今日同窓会なんだよ。ん?3人。別に人数関係ないだろ。」
ハンズフリーで話していたので、端から見たら一人で喋っている変な男に見えてるかもしれない。
友人は3人のうち1人が女子であることに驚いていた。
「明日?お前暇過ぎだろ、そんなことだと来年も落ちるぞ。俺は明日頑張るからいいんだよ。はいよ、はーい。」
電話を切ると、通話中停止していた音楽の再生が自動で再開される。聴いていたのは初めて自分で買ったアーティストのアルバムだ。あの頃は、ゲームカセットやトレーディングカードじゃなくてCDを買ったってだけで、ちょっと大人になったような気がしたっけ。
ストリーミング再生される思い出の楽曲たちを聴いていると、CDプレーヤーで聴いていた当時の情景が思い出されて、一丁前に「あの頃はよかった」なんて気持ちになる。勉強もスポーツも、努力すればみんなよりいい結果を出せた。当時の俺は今よりもっと自分に自信があって、3人で歩いている時も、気づけば半歩だけ先頭を歩いてる、そんな奴だった。大海を知る前のカエルの、輝かしい黄金時代。
イヤフォンが周囲の雑音を軽減するから気づかなかったが、アルバムを聴き終えるころには、雨はあがっていた。イヤフォンを外すと、それまで遠かった現在の街の音が、グッと近くに戻ってくる。
待ち合わせ場所に指定した店はここから近いし、前年の試験を仲良く一緒に滑ったアイツとも行ったことがある店だから、もう少しここでゆっくりしていってもいいだろう。と、ここであることを思い出す。
「もしもし?R?おー、久しぶり。もう店向かっちゃったりしてる?そっか、よかった。いや俺が送ったリンクから飛ぶとさ、違う場所表示されちゃうんだわ!なんか移転したかなんかで、前もやったのにまたやっちまった。でも移転先もすぐ近くだから。このあと正しい場所送るよ。うん、色々話そうぜ。はいよ、じゃあまたあとで。」
アイツとの電話の時より俺の声、明らかに大きくなかったか?まぁいいや。すぐGにも電話をかけたが、彼女はまだ電車の中らしかった。新しい待ち合わせ場所の情報を2人に送り終えると、残りのコーヒーを飲み干して、お守りのようにテーブルの上に広げていた参考書を鞄にしまい、雨上がりの道を歩き出す。
しばらくすると、先ほどの友人からまた電話がかかってきたので、なんだと思いながら応答する。
「もしもし?え?うん、そうだよ!Gだよ!へぇ、お前と繋がってたんだ。じゃあ、お前の話も出すよ。」
状況が完全一致するつぶやきをタイムラインに見つけて、もしやと思ったらしい。世間は狭い。
「うん、ん?ご報告?それは知ってるわ!そっちでは友達だから。いいねもしといたよ。あー、たしかにRは知らないかもな~。」
少なくとも当時は、RはGのことが好きだったように思う。だからこそ、Gが「じゆうちょう」をクラスの女友達に見せていたのを知った時、珍しくあんなに怒ったんだろう。でもGだって、面白いと思うから見せたんだ。子供の喧嘩っていうのは、得てして好意のすれ違いから始まるものだ。そしてそんな些細な喧嘩がきっかけで、関係が終わってしまうこともある。俺はいつの間にか、Rの描いていた漫画のことを話して聞かせていた。
「でさ、ヒロインのモデルが絶対Gなのよ!え?俺っぽいキャラもいたよ。強くて、頭がキレる奴ね。そりゃそうだろ、勉強もスポーツもできて、学級委員だってやってたんだから。そう、今とは違うよ。」
しかしこいつは、余程他人に興味があるか、相当な時間を持て余しているらしい。
「RとGが仲直りするタイミング逃した原因は俺にもあってさ。あいつが仲直りのエピソードを描いてたのに、それを俺が授業中に読んでたら先生に見つかって没収されちゃったんだ。だから、今日はそれを謝りたいのと、物語の結末、聞きたくてさ。」
ちょっと格好つけて話してしまったかもしれない。本当は、2人に慕われる昔の自分に、1日でもいいから戻りたいだけだったかも。
「そうだなぁ、もしRが、ちょっとでも期待しちゃってる感じだったら、俺がうまく立ち回るかぁ。事実を知ってショックを受けてるようなら、2人で飲み直しにいくとするよ。もう大人だし、朝まで飲んだっていいし。え?うるさいな、俺だって格好つけたいんだよ、2人の前では。俺は大丈夫、来年は絶対受かる。心配なのはお前だよ。はいじゃあ、お疲れ。」
電話を切る時、さっきと違って妙な気恥ずかしさを感じていた。なぜだろう、これまで自分でも気づかないようにしていた本心を言わされたような、そんな感じだ。
ふと頭上を見上げた時にそれを見つけて、自分で自分に照れているのを誤魔化すように、あえて声に出して言ってみる。
「お、虹だ。」
今は無線のイヤフォンもしていない。完全な独り言である。そういえばいつか虹の原理を2人に得意になって聞かせたことがあったけど、あれ微妙に間違ってたな。
そこからもうしばらく歩くと、いよいよ待ち合わせの店が見えてきた。店の前で、小綺麗な格好をした男が看板と画面を交互に見比べている。彼が立っている場所までまだ少し距離があったが、俺は息を吸い込み、手を上げて、声をかける。
「おーい、久しぶり!」
「L」
3人が十数年ぶりに再会したあの日から、今日で既に1年が経つ。あの日、3人はどのように再会を果たしたのだろうか。
結果からいうと、3人のうちの誰が思い描いていたものとも違う、思いがけない1日となった。
店の前でBに声をかけられ、看板を覗き込んでいたRが直立すると、意外なことに細身でスラリとしたRの身長はBより10センチは高かった。
「おぉ、久しぶり、じゃん…!」
知らぬ間に背丈を逆転されていたことに驚きを隠せないBは、Rに歩み寄りながらうわずりかけた声で、さっきも言った言葉をもう一度繰り返した。
「おー、B!久しぶり。店、ここ?さすが、洒落てるね。」
「あ、うん。いい感じっしょ。ごめんな場所、間違えてさ。」
「全然。むしろ幹事ありがと。あ、あれGじゃない?」
Rは、B の後方に手を振りながら歩いてくるGに気付いた。そして彼はすぐに、彼女の左手の薬指に夕陽を反射して煌めくものがあることを見つけ、すべてを悟った。
「ごめん待った?わー!2人ともめっちゃ大人になってるー!久しぶり!」
RとBは、まだ身長と指輪のことで衝撃を受け止めている最中だったので、Gに気持ちの良い挨拶を返すことに揃って失敗した。
「え?どうしたの?わたし、なんか変?」
しばしの沈黙。夕暮れ時、大通りから少し外れた場所にある隠れ家的な小洒落た店の前で、十数年ぶりの再会を果たした旧友3名は、数秒間、黙って立ち尽くした。街がたてるかすかな唸りまで聞こえるその数秒は、いつもよりゆっくりとした速度で流れていった。
しばらくして、3人はほぼ同時に吹き出した。そしてせきが切れたように、声を出して笑い始める。最初は息が抜けていく音に過ぎなかったものが、だんだんとそれぞれの声が伴った笑い声に変わっていく。
「アハハ!」
3人の発する声が混ざり合った音が、さきほどまでの街の静寂を塗りつぶしていった。
「え?だからなにっ!」
「いや、違うんだよ。Rがデカくて!」
「ぼく!? そりゃなるだろ」
3人とも、十数年の時を経た再会がこんな間の抜けた出会い方になるとは思っていなかった。もっと大仰な、もったいぶった再会をイメージしていたので、そのギャップがおかしくて、夕陽に照らされながら、3人はしばらくその場で笑い合った。
「はーい、それじゃ、再会を祝しまして、乾杯—!」
グラス同士がぶつかって、カキンと軽い音を立てて響き合う。さきほどの上滑りした集合で逆に肩の力が抜けたのか、3人だけの小さな同窓会は、せいぜい数週間ぶりの開催であるかのような、滑らかなスタートを切った。
「家庭科室って2階じゃなかった?」
「いや、1階だよ。中庭に面していた記憶がある。」
「あれ~、俺も中学と混ざってるかも。」
場を盛り上げたのは、他愛もない思い出話だった。小学校の校舎の構造をつぶさに思い出そうとしてみたり、給食の時間に流れていた校内放送の選曲センスを今の音楽知識で振り返ってみたり、社会科見学で訪れた場所を時系列順に並べてみようとしてみたり。
逆に、3人が期待をかけて持ち寄ったものは、不発に終わることが多かった。
「いや、こんな顔じゃなかっただろ。」
「でも絵、めっちゃうまくなったね。」
「だめだ、下手に描けなくなってる!」
テーブルの上の皿が少なくなったタイミングでRは買ってきたノートを広げ、あの頃の漫画のキャラクターを描いてみたが、誰もしっくり来ていなかった。子供特有のあの独特な画風は、大人が狙って再現できるものではないらしい。
「返してもらってたの?マジかよ、俺ずっと引っかかってたのに!」
Bは鉄板の上で焼かれている鶏肉を切り分ける手を動かし続けながら、驚きの声をあげた。自分のせいで没収されたと思っていた自由帳は、実はそのあと先生からRに返却されていたことがわかったのだ。
「そのことで俺たち喧嘩してなかったっけ?」
「そうだっけ?」
「Gが勝手にノート、クラスの子に見せててさ。」
「あ~!うわ、あったねそんなこと。」
「でもそれはその日にうちにGが謝ってくれたよ。」
「でも今思うとやばいことしてるな、わたし。改めて、ごめん!」
Bが気になっていた物語の結末についても、広げすぎた物語を完結させるのをR自身が諦めていたことを白状した。
その会話の流れで、なぜ自分たちは疎遠になってしまったのか、その理由についての話となった。しかし聞いてみれば、RとGがそれぞれ今日までターニングポイントと信じていたエピソードにも、Bと同じく勘違いしている部分が多分にあることがわかった。Rは、Gが隣のクラスの男子といい感じだという根も葉もない噂を信じてしまっており、Gはクラス替えとクラブ活動が始まったタイミングでBが2人と距離をとるようになったと感じていたらしいが、どれも話したその場で残りの2人にあっさりと事実と違っている点を指摘され、それが思い込みであったことが明らかにされた。
「じゃあさ、わたしたちってどうして遊ばなくなっちゃったの?」
「うーん、特にこれって原因もないし、すれちがい?ってこと?」
「なんだそりゃ!そんなので俺らの友情って終わったわけ?」
「引っ張ったね~、何年?」
「10年以上引っ張った割にはあっけなさすぎ!せめて今日わかってよかった。あー俺、ナイス企画。」
「でもさ、今日こうしてまた会えたんだから、終わってなかったんだよ。」
季節の食材と一緒に土鍋で炊き込まれた米と、飲み放題の元をすでにとったであろう量の酒で腹が膨れた頃、3人が今日まで疎遠であった明確な理由は、特になかったのではないかという結論に落ち着いた。
あとはまた趣向を凝らした口直しのデザートがくるだけらしいというところで、Rはついに、Gの左手の指輪について切り込む。
「ところでGはさ、その彼とはどこで出会ったの?」
そういえばRもBも、Gをかつてのあだ名で呼んでいなかった。
「え、このタイミングでその話させる?今日は思い出話オンリーのつもりだったけどな~。」
Gは最近その話を何度も繰り返しているのだろう。練り上げられた構成で、馴れ初めについて巧みに話して聞かせた。Rは、社会人になってから身に付けた気持ちの良い相槌で、いつも以上ににこやかに、その話を聞いていた。
「さて、会社員のおふたりさんは明日は休み?どうするよ今日はこのあと。」
Bがそろそろ会を締めようとして、なんとなく今日はこのまま解散になるのではないか、そんな空気が漂う中、不意にRが、ポロリと口を開いた。
「そういえばぼくさ、あの頃Gのこと、好きだったんだよね。」
あまりに意表をついたタイミングにGとBは反応することができず、3人が囲むテーブルは、時間が止まったようになる。そんなことおかまいなしにRだけはサラサラと話を続け、実はラブレターを途中まで書いていたという、超一級の秘密まで実に爽やかに開示してみせた。そこでようやく、GとBの時間が動き出す。
「お前、それ今言うのかよ!」
「えー!ちょっと待ってよ、全然気づかなかったんだけど!!」
「いや、どう見たってそうだっただろ!」
「あー、言えた。なんだかスッとしたわ。」
それがなければ、Bの思い描いた通り、二次会はRとBの男2人だけになったのかもしれない。しかし終わり際に盛り上がりの瞬間最大値を更新してしまったのだ。そこで終わらせるわけにはいかない。二次会はボルテージとメンバーをそのままに、店だけ変えて行われることになった。
「こっちこっち!早く!」
夜とは思えないくらい明るい、きらびやかな繁華街をすっかりご機嫌なGがまるで少女のように駆けていく。RとBは、駅へと向かい始めた群衆の流れに逆らい、人と人の間を縫いながら、Gを見失わないようについていく。
「なんかさ、夏の縁日でもこんなことあったよな?」
「あぁ、ぼくも今ちょうどそれ思い出してた。」
一軒目の凝った創作料理を出す隠れ家的な店から、二軒目は見慣れた料理名と手頃な値段のワインボトルが並ぶ、庶民的な雰囲気の店にガラリと変わった。
二軒目では3人は昔話ばかりではなく、現在の自分たちを取り巻くことについても、互いのグラスにワインを注ぎながら大いに語り合った。仕事のこと、結婚のこと、いつか叶えたいと思っている夢のこと。
途中、そもそもBはなぜRとGの連絡先を知っていたのかという話になったが、これも3人が一度疎遠になってしまっていた理由と同じく、明確な答えは出なかった。
「たしかRとは、高校生の時とかに連絡先交換してなかったか?ばったり会って赤外線でさ。」
「うわ、懐かしいなその感じ。でもそうだっけ?あ、たしかにBの番号知ってるな。」
「多分わたしが出てきたのってBと友達だからだよね。あ、R、友達申請送ったよ。」
再会した時にはまだ日があったことを忘れるくらい、みるみるうちに夜は更けていった。長針と短針が近づいて、もう一度2本の針が重なれば、いよいよ日付が変わるという時刻。3人はまだ一緒にいた。場所は、重たい球がピンを弾き飛ばす音が不定期に響き渡る、深夜も営業しているボウリングフロア。
「今夜だけであの頃使ってた合計余裕で超えてるよね。」
「あの頃お金使うって言ったら駄菓子か縁日の屋台くらいだし、そりゃね。」
登録完了!名前、見てみ。」
仲が良かった時期が小額のお小遣いしか持っていない頃だったから、お金を使った遊びをしたことがないねという気付きが二次会の終盤にあり、解散はまた持ち越されていた。その気付きから1時間と経たない内に早速それが実現していて、3人は自分たちが大人になったこと、そこが地元の街ではなく東京であることを実感していた。そのはしゃぎ様はまるで遊びの切り上げ時を見失った子供のようだったが、あの頃とは違い帰りが遅くて親に叱られることはない。
Bの粋な遊び心で、スコア表には当時呼び合っていたあだ名で名前が登録されていた。青い照明に照らさた会場で、ちょうど日付が変わる時刻から、3人は一緒になって遊び始めた。
しっかりと得点を重ねていくBも、可笑しなフォームでガーターを連発するRも、最終フレームで奇跡を連発してBに逆転勝ちしてしまうGも、みんな面白かった。
3人とも、今日はしっぽりと昔を懐かしむ日になると思って来ていて、こんな子供みたく遊ぶことになるなんて思ってなかった。だけどもう、止まらなかった。ボウリングを終えた後もダーツだ、ビリヤードだ、ゲームセンターだと、さまざまなフロアを巡って、3人は十数年のブランクを取り戻すように、時に腹を抱えて笑いながら、無邪気に遊びまわったのだった。
「あ、これBが好きだった曲じゃない?」
あらかたメジャーな遊びをやり尽くし、小休止的に立ち寄ったゲームセンターフロア。そこでも勢いづいて大量に小銭を吐き出した後、筐体が発する爆音から抜け出した時、フロアにBの好きだったアーティストの曲が流れていることにRが気づいた。街のレンタルCD屋には置いていない、大衆的にはニッチな曲なのでこういうところで流れることは珍しい。Bは当時、隣町の雑貨屋で買ったというこの曲の入ったCDを半ば強引にRとGに貸したこともあって、その曲が流れている間だけ、3人はあの頃に戻ったような気分になった。
そうして、夜が終わった。そろそろ始発が動き始めるという時刻が近づくと、魔法が解けたように急にフロアは閑散とし始め、3人が施設の外に出た時には、すでに空は白み始めていた。
一晩でちょうどこれまで溜まっていたすべてを話してしまったのか、大人気なく遊び倒した疲労からか、駅に向かう道中、3人の口数は少なかった。誰かが何かを言おうとして、残りの2人が曖昧な笑いを返す。そんなことをぽつぽつと繰り返しながら歩いていた。歩道橋に差し掛かり、まだ車の少ない通りを渡っている時、3人は片側の頬にほのかなあたたかさを覚え、そちらに顔を向ける。
「あ、朝日だ。」
そう声に出したのは、誰だったろうか。昨日の再会の瞬間には西の方角でオレンジ色をしていた太陽が、地球の反対側を照らし終え、街の東側の人工的な地平線から顔を出していた。その白い光に照らされて、3人は足を止める。
その時3人は、たしかに同じ光を見ていた。それは、昨日顔を合わせる前に、それぞれ別の場所から見た虹とは違っていた。本来ならBが「なんで太陽の光は白く見えるか知ってるか?」なんて言い出しそうなものだったが、3人はすでに再会を果たしている。そこに、言葉は必要なかった。その光には、人が見ることができるすべての色の光が含まれているのだ。だからあんなに明るく、あんなにも眩しいのだ。3人はしばらくそこに立ち止まり、新しい1日の始まりを告げる光を見ていた。
あの日から一年経った今、3人を取り巻く境遇は大きくは変わっていない。それぞれがじりじりと、各々の人生を少しずつ前に進めているだけだ。変わったことがあるとすれば、3人はあれからまたちょくちょく会うようになった。二ヶ月に一回とか、急に誰かがあの日作られたグループに連絡する。仕事がひと段落したとか、近くに立ち寄る用事があったとか、うまい店を見つけたとか、そんな気軽な理由で。
あの日、彼らの物語がまた始まった。一度結んだつながりは、消えてなくなってしまうことはない。もう二度と会わないと思っていた人とも、意外なところで再び出会ったりする。ほどけかけていたつながりがまた強く結び直される時、停止していた物語が再生する。きっとこの先、この再会のことも忘れてしまうくらいに仲良くなったり、気づいたらまた会わなくなったりするのだろう。
でも、きっとそれでいいのだ。人と人のつながりによって織り成される物語は、終わることはない。そして、きっと消えることもない。近づいたり離れたりを繰り返しながら、僕らはいろんな人とつながりながら生きていく。
再会した日からちょうど1年であることを、誰かが覚えていてのことかどうかは定かではないが、今日もこの街のどこかで、彼らは会う約束をしている。夜通しで遊んだのは、さすがに1年前のあの日だけだ。最近では、日付が変わる前に別れていく時彼らは、決まってこう言うようになった。
「また、明日。」